232.市場経済化の進展で談合文化と決別
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 06/11/8(水) 23:29:17  返信も含め全削除

1.江戸時代から続いた入札文化がいよいよ壊れてきた
 建設業界には、江戸時代から続いた入札文化の残骸が残っている。数百年続いてきた業界の入札文化であるから、簡単には壊れるものではない。官製談合や民主導の談合は依然として必要悪と言われながら見え隠れする。悪と知りつつ他に代わる入札方法が見つからないという。もし談合がなければ仁義なき戦いが始まり、その戦いは無限に続き死ぬまで戦おうとする。このような競争の仕組みは尋常なものではない。この節度が利かない悲惨な戦いが何故起きるのであろうか。短期的であれば原価を割ってまで戦うこともできるが、追い込まれるとダンピングや手抜き工事まで発生する。これも江戸時代から続いた業界の苦肉の策であるかもしれない。しかし本格化する市場経済時代には、談合や手抜き工事について、業界仲間からの告発もあれば、社内からの内部告発もされる時代であり、命取りになる可能性が高苦なりつつある。このような時代を生き残るには、過去の延長線上の経営手法を根本から改革する以外に方法はないのである。

2.本格的化する市場経済化の対処法
 なぜ適度な競争が作用する市場経済の仕組みができないのであろうか。答えは単純で他に適切な入札方法が見つからないからである。生産をする前に競争原理が無限大に作用する仕組みに問題がある。そこで適度な競争の仕組みとして考案されたものが、官製談合であり民主導の談合である。その点を必要悪と表現されている。しかし近年始まった本格的市場経済の波は、益々激しさを増すばかりである。であればこの競争に耐えられる経営体質しなければ生き残ることはできない。もはや手形を落とすためのダンピングや、手抜き工事等で切り抜ける時代ではない。市場経済が本格化してきた時代には、過去の古い手法を新しく変えなければならない。現状のままでは到底生き残る方法は見つからない。いよいよ江戸時代から続いた入札文化と決別し、本格的市場経済の中で仁義なき戦いに挑戦する時代である。本来、市場経済とは、仁義なき戦いの経済システムを言うのであって、談合が業界の仁義であるという時代は終わったのである。

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