<7>社会不安の性善説と性悪説
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 3/30(日) 20:37:11  返信も含め全削除

<シリーズ・競争社会とイジメの原理を探る>
 このDNAシリーズは、競争原理から派生するイジメの現象は、現代社会の新しい人間関係論を研究する上で重要な課題である。管理職にとってイジメとはげましは紙一重の行為であって、人材を戦力化するためには避けられない研究課題である。

1.イジメの病理学
 地域が孤立した閉鎖的な社会環境の時代は、その地域で年月をかけて出来上がった独特の習慣文化によって人類の生活が営まれていたが、20世紀末に起きた地球規模のグローバル化の現象によって、人類が経験したことがないスピードで生活文化が地球規模で交流が始まり異質な文化が混在化してきた。その現象は地球規模の爆発的文化の拡散という方がよいかもしれない。その点で20世紀末には地球規模で異文化の接触が多くなり、従来とは違う新しい生活文化や異質な価値観に遭遇したのである。更に、グローバル化した地球規模の市場経済化が進み、新しいビジネスの価値観や新しいビジネス能力が要求され、人類が過去に経験したことがない激しい変化の波に襲われている。これらの現象が人類の価値観や精神に大きな影響を与えているが、その価値観が未成熟であり未整理のまま社会に蔓延し、企業や学校、家庭等にも影響を与え、それが大きなストレスの要因にもなっている。人間のストレスの蓄積によるイライラは、発散時の形態のひとつに「いじめ」として具現されることもあり、「いじめ」も未整理のまま社会が抱え込んでいる。いじめの病理学的原因は奥が深いところに起因している。

2.性善説と性悪説の整理
人間は悪人の部分と聖人の部分が同居しており、その双方を抱えているから人間なのである。したがって100%の悪人はいないし100%の聖人もいない。もし、100%の悪人がいたらそれは悪魔であり人間ではない。また、100%の聖人がいたらそれは神仏でありこれもまた人間ではない。神と悪魔が同居しており揺れているからこそ人間である。あるときは悪魔的行動をとり、またあるときは神仏的行動をとるのであり、これが人間の弱いところであり悩むところである。頭(理性)では平和や仲良し等の善良な考えで行動するが、DNAに組み込まれた動物本能の弱肉強食の部分で行動すれば犯罪として扱われる。ある外部からの刺激の度が過ぎてバランスが崩れると「いじめ」等悪の部分が顔を出してくるのである。現代の激しい市場経済の原理は、動物本能の競争心・闘争心を組み込んだ経済システムであるから、人間は精神的バランスを崩すと理性を超えて本能的に競争原理が作用するDNAが暴れだすのである。人類はこのDNAの競争原理の作用を簡単に克服できるものではないのである。

3.情報化社会の新しい不安
 情報化社会は、地球上で起きる全ての現象の情報を提供する社会である。情報不足時代の人類の不安は情報不足のために推測する部分が多く、時には質の悪い情報もありまた噂という劣化する情報もあり、人類は情報不足と劣化した情報によって散々不安を経験してきた。しかし、高度情報化社会になって正確な情報が得られるようになったが、近年の情報はリアルタイムに大量に受信せざるを得ない状況となってきた。この過剰な情報は多くのひとが消化不良を起こしており、この過剰な情報が近年の不安材料となって人類を襲ってきた。この不安は過去のものとは異質なものである。

返信する

パスワード

一覧へ戻る】 ※最新の画面を表示するには再読み込みしてください.