<28>競争遺伝子の作用と市場経済の整理
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 8/24(日) 23:49:01  返信も含め全削除

1.生物は喧嘩状態が正常な姿かもしれない(少し乱暴な整理)
 人間の行動には正常な行為と判定される場合と異常な行為と判定される場合がある。人間同士が平和で仲良しの状態が正常であると判定されるから、喧嘩や戦争が異常であると判定することが一般的である。しかしこれを逆にした視点で整理すると違って見えてくるのである。戦争と平和や喧嘩と仲良しの行為は人類始まって以来繰り返して続いている。いまだに戦争や喧嘩を繰り返しており今後も絶えることがないであろう。なぜこれまでして人類は戦争や喧嘩を引き起こすのであろうか。もしかすると人類は戦争状態や喧嘩状態が通常の姿なのかもしれない。いずれにしても人類行動の永遠の課題である。

2.人類の競争遺伝子が戦争の根源となっている
 よく戦争の悲惨さを体験した人が、戦争の悲惨さを訴えて戦争阻止を訴えている。然るに人類は戦争や喧嘩をいつの時代も繰り返してしいる。この原因は人類のDNAの中に組み込まれた競争遺伝子の設計図の作用であり、「他人に負けるな」と書き込まれた設計図に忠実に動かされている結果である。周囲の環境が競争環境になってくれば自然に闘争意欲が高まり当然のように争いを始める。この闘争心は自然の摂理であって「他人に負けられない」本能的行動の作用である。スポーツであっても競争環境が整ってくると闘争心がむき出しになって競争を極限まで高めて争いをする。戦争や喧嘩の争いが起きることが生物の根源にあるのであれば、生物の本能的行動をもっと深く究明し、オリンピックのように闘争心を適切にガス抜きする仕組みを研究し、その解決策を高度に究明すべきである。こうして見ると生物の闘争心による戦争や喧嘩は通常の姿であるかもしれない。闘争心を前提として努力することは戦争や喧嘩を激しくするように作用するのは当然で、人類が戦争や喧嘩を本能的な行動で通常の姿であるとすれば、戦争や喧嘩もそろそろ飽きてきたと思わせる方法が見つかるかもしれない。昔から喧嘩の双方に「もういい加減にしたらどうだ」という仲裁まであるではないか。このように人間は戦争や喧嘩をするものとした前提で研究すれば、戦争や喧嘩をしないで済む方法のヒントがあるのかもしれない。

3.生物の競争遺伝子の作用と市場経済の論理
 市場経済もこの戦争と平和の問題と同じ現象が起きている。経済戦争の戦場の場が市場であり、戦争に勝つためには経営戦略が必要となるが、その戦略なる用語も戦争用語である。では経済には平和がないのであろうか。マルクス、レーニンが考えた共産主義における計画経済制度が平和の手法である。収入や財産を平等化して財産競争を平和させる方法である。しかし経済の仕組みを平和にし生産性を低下させた結果、旧ソ連や旧中国の経済が破綻したのである。それは我々の身体に組み込まれた競争遺伝子を無視した結果である。このように生物は永遠にこの競争原理から逃れることができないのである。市場経済は競争原理が強く作用し熾烈な財産争奪合戦が無限大に続く大きな欠陥をもっているが、他に代わる経済制度が見つかっていのである。国が破綻して国民が路頭に迷うよりよいではないか。

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