<56>形式主義の文化とISOの本質
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 3/7(日) 18:31:28  返信も含め全削除

1.日本人の形式主義文化と優秀な人材評価
 日本の村社会には長く続いた建前主義の文化がある。建前主義とは「表向きの基本方針」のことであるから、本音と違うことは別に問題視しなかった。そのため実態と形式が違うことは近年までは当り前であった。本音と建前の違い程度であれば、本当の気持ちと形式書類の問題であり実害はないが、ISOのような行動を伴う問題となれば話は別である。真実の行動と建前の形式的書類の違いが生ずることは大きな問題である。国会議員の秘書給与問題も同じことで、建前上は給与として支払われているから形式的な書類上は給与として記録されている。しかし実態は別なものに流用されている。このような形式と実態が違う処理は、古くから日本の習慣文化として受け継がれてきた行為であるが、近年は許されなくなってきた。建設業界の実行予算制度は予算流用の典型的形態であって、予算流用が得意な代理人ほど優秀で能力がある人材とさえ言われている。

2.建設業界のISOが何故形式化するか
 日本の文化が形式主義であることは前述したが、建設業界のISOについては形式主義が最も典型的な形で現われている。書類主義でISOの規定が認証条件を満たすことを念頭に置き、その認証条件の形態に合わせて現場を施工をさせようとする。そのため現場で本物の施工行動が制約されるため、ISOの規定が現場で邪魔になるのである。そのため現場では当然ISOを無視して施工し、ISOの書類作りは実態と相違する形式的書類作りに残業までするのである。この点で製造業は日常の品質に関する行動が定型化していることもあり、標準化しやすいのでISOに馴染むのである。しかし何よりも適切に取り入れられる理由は、日常の行為がISOという知的財産として利用することが重要だからである。建設業界のISOは現場で邪魔な存在であるのに対し、製造業のISOは品質管理に無くてはならない道具として機能している。製造業は地球規模で分業化が進み、生産した製品の世界規格や材質が世界市場で超競争にさらされ、本物のISOしか通用しないため、導入時から実質的に本物で運用する意思が強く作用する。これに対して建設業界は入札条件を有利に展開することだけが念頭にあり、現場で実質的に有効に作用するかどうかは二の次となっている。

3.多民族の契約社会では特に標準化が進む
 米国のような多民族の国では、言語や宗教、文化思想等が大きく相違する多民族が集合体である。この他民族で発展するためには仕事を標準化したマニュアルが必要となる。多民族間で考え方や仕事の仕方にばらつきがあるのは当然だからで、仕事の標準化が要求されたのも当然であり、その要求に答えるために発展したノウハウがマニュアル文化である。近年の米国では仕事はマニュアルによって作業することは前提であり、これが米国の仕事文化として定着している。日本でもコンビニエンスストアのチェーン店やレストランチェーン店等の運営は、標準化されたマニュアルで仕事をすることが一般化しているが、このマニュアルで仕事をすることでパートやアルバイトの定型化で大発展を遂げている。ISOはこのマニュアルよる仕事文化を更に進化させている。日本もあらゆる業界の知的財産として利用される時代となってきた。

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