<93>日本人の労働観とビジネス観
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 11/28(日) 20:25:37  返信も含め全削除

1.公平感や不公平感は変化する
 人間の性格を分類する場合、協調型と非協調型に分類することがある。人間は生まれながらの遺伝子や生い立ち後の体験によって価値観決まるものである。いずれにせよ協調型と非協調型の人種がいることは確かである。しかし双方の性格者にとって対立と協調の両面を持っている。人間は関係者の中でバランスが崩れた時点で対立構造が出来上がる。そのバランスの崩れ現象とは、経済的バランスが崩れる場合もあれば、権力や地位のバランス、仕事の内容や進め方のバランス等あらゆる状況下で発生する。このバランスの崩れは不公平感として認識される。しかし人類の不公平感は頭脳が進化した結果の産物であり、他の生物界では見られない感情の現象である。不公平感は主観的な現象であるから関係者の全てが同一に感ずるものではない。長く続いた日本的経営の年功序列の人間関係は、同期生や同年令の視点でみれば不公平感はないが、成果型の視点で見れば年令型で役職や賃金が決定されることは不公平感が出てくる。近年の潮流は成果型の能力主義の方向に急激に進んでおり、これが日本の労働感に新しい不公平感が発生している。

2.恩義も対立関係の一種である
 人間の行為の中で感謝される行為がある。しかしその行為が感謝の限界を越えて提供されると相手方に恩義を感じさせる。恩義は過度に提供した行為の結果として起きる現象である。提供者が通常の範囲であれば感謝という精神的返礼でバランスがとれるが、通常のバランスの限界を越えて提供されると相手方に恩義という負担感が発生する。したがって過度の恩義を感じさせる行為は、バランスを崩すための行為となる。下手をすると恩義を知らないやつとか、恩義を仇で返したというものが出てくる。相手側が感謝で済む程度であれば精神的負担感はないが、恩義行為が過大化すると相手方に負担感を与えプレッシャーとなってしまう。双方のバランスが崩れている証拠である。双方の関係が感謝という気持ちで済む程度の段階までがバランスの範囲であり、恩義の思想は双方に精神的な貸借関係を持たせる行為である。

3.日本のビジネス観に課題が
 市場経済におけるビジネスには本来恩義という思想があること自体がおかしい。ビジネスは長年特定の取引関係において継続していても恩義は発生しないはずである。何故なら毎回の取引ごとに対等に行われるのであれば、双方に恩義という精神的に貸借が生じないはずである。しかるに日本の伝統的な取引関係は常に恩義意識が作用している。この恩義意識からくる精神的な貸借関係が生ずる行為は、取引関係の当事者以外に不公平を与えていることになる。過去の日本のビジネス文化は、よそ者を排除し特定の関係者に有利性を提供することがあるが、これは恩義をベースにした村社会のビジネス文化であった。これが長い間続いた伝統的日本のビジネス文化である。単純に日本の過去のビジネス文化を批判しているのではない。近年始まった世界のビジネス文化に通用しない点を指摘しているのである。これからは日本もドライに割り切って、毎取引ごとに常に公平で対等のビジネスとしていくべきで、恩義が発生するようなビジネスをしては世界の市場経済についていけないのである。

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