<130>庶民の金融思想の変化と日本経済
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 8/21(日) 22:27:11  返信も含め全削除

1.定住型社会と庶民の信用制度
 江戸時代から近年まで続いた庶民の金融は、近年大きく変化してきた。江戸時代の鎖国政策は庶民の移動にも制限があり、通行手形がなければ自由に行動ができない時代であった。つまり地域封鎖政策は、その地域に定住型人間をつくり上げている。定住型人間は自分の定住地において信用を失うことは生活不能を意味しており、その地域に自然にでき上がった厳しい掟に従わざる得ない状況になる。この掟のなかで出来上がったのが商人のツケ売り(貸し売り)制度であった。定住内のエリアでは、米は○○屋、味噌は××屋、酒は△△屋というように貸し売りしてくれる店が沢山あった。支払は晦日(月末)であり、最終の支払は大晦日(年末)であった。これは定住型住人であったからこそ信用された制度であり、今日のような流動的な時代には出来なかった制度である。一定区域の定住人間は、親戚縁者のような付き合いであり、それが信用のベースになっていた。近年の日本社会の都会とは大きく相違している。

2.物流拡大時の庶民金融の変化
 江戸時代から続いていたツケ商法は、形を変えて通帳(かよい帳)制度として第二次大戦後まで使われていた。その後は葬儀のときに葬儀の買物帳としては近年まで使われていた。その一方で、庶民金融として利用されていたものに質屋という業種があり、近年では細々利用されている。この質屋の特色は、質草という担保物件を担保に庶民の金融機関である質屋にお金を借りに行くのが、当時の庶民金融の中心であった。しかし大量消費時代の物流が拡大するにつれて庶民は物持ちになり、相対的に質草の価値が下がり庶民も質屋の利用価値が減少していったのである。これに代わって登場した町の金融機関がサラ金であり、今日の大きな産業まで発展している。民衆行動はツケで買う行為を止め、町の金融機関から担保なして資金を借入、その資金で行動をとるのが常態化し、サラ金地獄という言葉まで出来上がったしまった。サラ金は信用能力の限界を超えて取引されるため、近年破綻者が増加しえいるのは周知の出来事である。

3.庶民の金融感覚が変わっていく経緯
 日本の低成長時代に庶民の商慣習として発展した制度に、長期の月賦、年賦という割賦販売制度がある。それまでの日本人は、小金を溜め込んでから目的物を購入するという習慣であった。これをお金が無いのに購入し、その代金は購入後に月賦、年賦で支払うという条件である。高度成長期はこの割賦制度が貢献しているとまで言われており、日本のビジネス界を一世風靡したものである。そこへ住宅金融公庫ができ庶民として最も大物の買物である住宅までも割賦購入が当たり前の時代になった。これは新しい商品や住宅の効用を先取りし、十分に堪能しながら、支払は後でゆっくり支払うという考え方が一般化したためである。このように経済の発展と庶民の金融思想や行動が、連動して動いていることも注意すべきであり、現代経済を整理するに当たり庶民の行動変化を十分に観察すべきである。

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