<181>偽りと本物の言動の揺らぎと市場経済
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 06/8/27(日) 12:19:52  返信も含め全削除

1.封建社会の集団主義時代には建前主義が横行する
 日本には、昔から本音と建前を使い分けてきた。建前とは真意とは別の表面上の行為を表したものである。真意の観点からすれば、建前とは偽りの表現していることになる。このような偽りの表現を知りながら何故、建前上の偽りが横行するのであろうか。建前主義が特に横行するのは、封建制度の時代や独裁者が存在する国の場合の集団主義の中でよく見られる光景である。現在世界中に広がってきた自由主義や民主主義の時代には、自由に本音で自己主張できるようになり、無理して建前主義を貫く必要がなくなった。つまり自由主義時代に入り個人の行動が自由化されれば個人主義化が進むことは当然で、各自が本音で行動する時代になったのである。個人の主張が強くなれば集団主義も維持することが難しくなり、建前上の表現が不要になってきたのである。

2.偽りと知りながら賛同する社会の仕組み
 集団主義時代に集団を結束させるためには、個々人の本音の主張が強すぎると集団主義が保たれない。そこで本音の部分を隠して表面上は建前主義で賛成することが、集団内部に和が保たれることになるため、その意味では当時の建前主義は重要な役割を果たしていた。また独裁者が存在する場合も本音では反対であっても、本気に逆らうことができないため、表面的には賛成せざるを得ないのであり、封建時代や独裁者が存在する国等では建前主義が横行するのである。

3.日本の伝統文化の中で醸成された建前主義
 日本には古くから本音で自我の主張が強いひとは嫌われた。そのため主張を和らげる手法として建前主義が利用され、日本の文化として馴染んできたものである。京都地方の文化で「お上がりやす」という挨拶があるが、形式的建前上は、家の中に招き入れる表現であるが、実際の真意は招き入れる気はないのである。他人に送り物をする場合でも「つまらないものですが」と言う表現も同様であり、贈り主は良いものを持参しているのであって、つまらないものを持参してきた意識はないのである。このような奥ゆかしい日本の文化は、単一民族で限定された小エリア内では以心伝心するため、高度な精神文化として建前の表現が通用する。しかし今日のようなグローバル化した社会においては、交流人口が増え高度な精神的文化が通用する環境ではなくなったのである。むしろ広範囲な人々には誤解される言動となってしまったのである。日本の奥ゆかしい伝統的な精神文化が、外国人から「日本人には嘘をつくことが多い」とまで誤解されるようでは、通用しないどころかビジネスではマイナスの要因にしかならないことを留意すべきである。

4.市場経済では建前主義は全く通用しない
 今日の市場経済は、世界の市場が一体化した他民族が入り混じった広範囲の世界巨大市場であり、小エリアの地域文化が通用する社会ではない。裏話ではない本音のビジネス文化で世界市場が動いていることを認識しなければならない。すべてが本音の行為でなければならないし、表面上の表現と真実の内容が一致していなければならない社会になったのである。

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