<183>日本の箍(タガ)文化が弛んだ嘆き
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 06/9/10(日) 20:54:57  返信も含め全削除

1.日本の伝統的な箍(タガ)文化に異変
 日本の伝統的な製品に桶や樽があるが、この桶や樽を作る場合に使う竹で丸く編んだ輪や鉄製の箍(タガ)がある。この箍が弛むと隙間から水が漏れ、桶や樽の用を果たさないことになる。この点を指摘した言葉として、年をとって能力が衰えた状態や、精神的に弛みが出ている戒めの言葉として「箍」が弛んでいると表現される。箍は扇の要のように一番重要な部分であるという意味である。近年の日本の社会現象をみて、平和ボケとか、緊張感が少し足りないのではないかと言うことを、箍が弛んでいるということで嘆くひとが多くなった。

2.個人主義化が進んだ結果、箍の機能が低下
 箍の弛み現象を別の視点でみると、日本の自由主義が真に浸透してきたと見ることもできる。個人の自由意志が尊重され、所属する集団の箍や上からの指示で行動することを嫌い、個人の自由意志によって自ら行動するひとが増えている。過去に多く見られた集団の管理下で統率されていた時代からみれば、箍が緩んだように見えるのも当然である。ビジネスについては関西地域が民主導で自由度が高く、関東以北は官主導地域には官の箍が利いていた。しかし、官主導という箍は全国的に大きく緩んできたことは間違いない。このように全国的に過去型の集団主義社会が消えようとしている。いずれにせよ過去の集団主義型の箍文化が効かなくなってきている。民衆は過去型の集団コントロール方式で動かすことができない時代になってきている。

3.社会の脅威情報の公開と個人主義化の進み
 本来、人間は自分が入手した情報で自ら決定し行動する特性をもっている。できれば他人には指示されたくないという本性がある。しかし、原始時代であれば、自然の脅威から身を守る手段は個人には限界があり、集団化して身を守る必然性がある。集団化が進めば必ずリーダーが生まれ、リーダーには権力が集中する。現代社会において、このような脅威の内容が情報化社会になり克明に公開され出してきた。しかも脅威の質やレベル、エリア等まですべてが正確に情報公開される社会となったのである。そのため脅威を回避することが、個人レベルで対応できる社会になってきた。そのため過去の脅威情報の不足時代と比較すれば、脅威を感ずることが少なくなってきたのである。このような社会の現象は個人の自由行動が保証されるため、個人主義化が急速に広がってきたのである。

4.個人主義化社会の中の集団管理ノウハウの遅れ
 従来の集団主義者からみれば、個人主義化の行動が、従来型社会通念として、自由主義をはき違えていると見え非難する。確かに集団で生きようとする人間にとって「箍」は最低限の基本的ルールである。この箍が弛むことは人間社会の集団が崩壊することを意味しており、嘆かわしい限りである。しかし個人に十分な情報を与えることは、個人は自己が所有する情報で行動するため、個人主義化による自由主義化は益々盛んになり止める方法がない。この自由主義化現象は決して悪いことばかりではなく、むしろ良い面の方が多いのである。個人主義化社会が進む中で最低限の集団管理ノウハウが必要になるだけの問題である。しかし急速に進んだ個人主義化の流れに対して、近代的な「箍」の整理や研究が遅れていることも事実である。

返信 ご意見やご質問をどうぞ

パスワード

一覧へ戻る】 ※最新の画面を表示するには再読み込みしてください.