<196>公平な喧嘩はガス抜きの作用をする
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 06/12/10(日) 13:37:09  返信も含め全削除

1.いじめは不公平、類似する喧嘩は公平
 いじめ行為と喧嘩は異質なものだが非常に類似している。その両者の現象は、肉体的暴力行為の場合もあれば、言葉による暴力行為もあり、いじめと喧嘩は、暴力行為という点では共通点がある。いじめの特色は、優位な立場を利用して弱い立場の者を暴力的に威嚇する行為であるから、弱い立場の者には過度に集中し、一方的に大きなダメージを受ける結果となってしまうのである。これに対して喧嘩は、位や実力等に大きな差がなく、当初から圧倒的格差がない状況下で起きるものである。したがって対等的立場で行う暴力行為を喧嘩というのである。この喧嘩のような暴力行為にルールを作り、審判員をつければスポーツになるのである。ボクシング等格闘技が何故スポーツとして機能するかは、公正公平のルールと審判員の存在であり、これがストレス解消となる。これがオリンピックの目的であり、ガス抜きとして大きな効果を上げているのである。

2.言葉によるいじめは、なぜダメージが大きいか
 肉体的いじめは肉体的威嚇であり、肉体的にダメージを与える行為である。そのため痛さが消えるまではダメージが持続する。これに対して言葉による攻撃は、相手の弱みを強い言葉で攻撃するものであるから、精神的にダメージを与える行為である。この言葉によるいじめは、頭脳に残留するためダメージ感が持続してしまう。しかも頭脳の中で増殖する。人類は頭脳を高度に発達させたため、頭脳的な攻撃の方が肉体的攻撃よりもダメージを強く受けてしまう特性を持っている。いじめの受け手側である子供たちが、精神的欠陥を指摘される「うざい」「きもい」等の言葉は、肉体的ダメージより大きく作用するのもそのためである。

3.兄弟喧嘩や兄弟間のいじめは軽微で終結する
 言葉による兄弟間のいじめや喧嘩であれば、肉体的、精神的な欠陥を攻撃材料としても、同じ親から生まれた分身であるか、兄弟としての共通性を多く持っているため、兄弟間のいじめや喧嘩の内容が希薄であり、ダメージを与えるための内容が希薄である。その意味においても乳児期、幼児期から始まる兄弟間のいじめや喧嘩は、内容も軽いし、行為も手加減された軽微な状態で終結する。このように兄弟間のいじめや喧嘩は、他人同士のいじめや喧嘩のための予防接種の役割を果たしていた。現代1人っ子社会の子供たちは、いじめに対して免疫力がないことは間違いない。いじめは動物本姓の行為であるから、なくなるものではないから、免疫システムの研究が必要である。臨床関係者の今後の研究に期待したい。

4.複合化するいじめは強烈に作用する
 いじめは、肉体的攻撃と精神的攻撃を同時に行われる場合が多く、さらに持ち物を隠されることや、金品を取られるようなことが同時に行われる場合もあり、昔のように子供時代に兄弟喧嘩や軽いいじめのトレーニングを受けていない現代の子供にとって、あまりに大きなダメージを受けてしまうのである。しかもいじめは一過性のものではなく、長期に渡り継続するため威嚇行為もエスカレートする。いじめの受け手側もダメージを継続的に受信するだけでなく、限度を越えて蓄積してしまうのである。免疫力がない子供たちは耐えられないのは当たり前である。

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