<205>いじめに類似する悪ふざけ
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 07/2/11(日) 23:27:29  返信も含め全削除

1.いじめの概念で揺れた校長の言葉
 小学校で発生したいじめ問題で自殺者が出た学校の校長の話の中に、調査をしたがいじめの概念に該当するものは認められなかったと言う表現があった。いじめの概念を定義することも難しいが、定義してもさほど意味がないかもしれない。現在、通常いじめと言われている殴る蹴るの行為や、金品を巻き上げることがいじめであると定義すること自体もおかしいのではないか。何故ならこのような行為は、いじめと言うより大人社会であれば刑法に触れる犯罪である。これはいじめと言うべきではなく、子供にも犯罪として対処すべきもので、基本的にはいじめの概念には入らないのである。犯罪に至らない部分の中にいじめの問題がある。

2.いじめに類似する悪ふざけ
 小中学校でのいじめの発生現場で、いじめの調査が難しいのはそれなりの理由がある。何故なら、子供たちにいじめの意識がないもので「悪ふざけ」という行為がある。この悪ふざけの行為は、いじめに非常に類似している。この悪ふざけの当事者はいじめの意思がなく、子供社会では悪ふざけという遊び心による行動である。この悪ふざけといじめが混在している場合が多い。悪ふざけは、人を笑わせるためにわざと嫌なことを言うことや悪いことをする行為であり、いじめと悪ふざけは紙一重である。したがって、当人はいじめと思っていないため、悪いことをしたという意識がないから、調査をしても現れてこないのである。悪ふざけ行為は、当人の仕草や発想が面白く笑いを誘いクラスの人気者になる場合が多いが、その同じ行為であっても受けて側が代わればいじめに変質する場合がある。このような状況下でいじめの調査をしても、いじめか悪ふざけかの判定はできるものではない。いじめ調査の難しさを上げればきりがないし、調査をしてもいじめの基本的解決策は見つからない。

3.いじめの概念は子供の感じ方の問題
 いじめは概念を定義することが重要ではない。いじめを和らげで不登校を無くすことや、自殺者を無くすることが重要であり、これが子供たちを救うことになる。このいじめを和らげる手法が見つからないのが問題である。いじめの発生原理は、にDNAの競争遺伝子から発現するもので、無くなることはあり得ない。だから和らげる方法を研究することが重要である。いじめは受け手側がどう感ずるかがの問題で、現代社会の環境変化に左右される。特に少子化による子供社会の変化である。一般大衆が貧乏で子沢山時代には、もの心がつく前の乳幼児の時代から兄弟喧嘩は当たり前であり、当時の親は、子供の喧嘩については、仲裁するどころか「うるさい」と一喝し、喧嘩が悪いと理由なしに拳固が飛んでくる。この時代は、大人社会とは別に純粋の子供だけの社会が存在しており、小中学校でも軽微な喧嘩や言い争い、悪ふざけは日常化していたが、兄弟喧嘩でトレーニングされていた子供は、その延長線上の出来事であり、どんな喧嘩が起きようが、いじめがあろうが死に至ることはなかった。したがって、当時の大人は子供社会の出来事で心配するも人はいなかった。子供の喧嘩に親が出ること自体恥ずかしいことであった。

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