<217>スポーツを代理戦争にまでして戦う
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 07/5/27(日) 11:28:03  返信も含め全削除

1.人間の競争心を楽しさにまで進化させた
 人間の競争遺伝子は無限に作用するもので、その争いの形態も色々の状態になって現れる。その争いにルールを設けたものがスポーツである。世界各地で発展した争いの文化の中で、地球レベルに馴染んだものが世界中でスポーツとして楽しんでいる。スポーツは積極的にストレス解消となるし、ガス抜きの効果と共に更に楽しみまで進化させたものまである。国同士のガス抜きにまで発展させたものがオリンピックであり、年々盛んになってきた。更にパラリンピックもあり、体力等に差があれば別々に分けて大会を開き、実力の差がある場合は、ハンディキャップ制度まで考案して争いをする。人間はどこまでも競争が好きである。世界中の地域やその土地柄の文化としてでき上がったスポーツも、グローバル化時代の波に乗って一挙に世界中に広がりを見せた。本来は争いを避けるべきであるが、スポーツ化としての争いは、高度化しながら発展を遂げており、単なる競争によるストレス解消とどまらず、競争原理を楽しさに転換するまで進化させたのである。

2.代理戦争をさせて興奮し楽しむ術を手にした
 スポーツは、直接試合に参加して戦うばかりでなく、間接的な試合の参加まで考え出している。つまり代理戦争である。自分の戦闘能力が低い場合は、特定のチームや特定選手のファンとして参加する代理戦争である。人間の競争心は、このように代理戦争でもいいから参加して戦いたいのである。人間のDNAに仕組まれた競争遺伝子の作用が、これほどまでに強力なパワーが秘められているのである。野球やサッカー、相撲等の代理戦争に参加しているファンは、勝ち負けで一喜一憂し、優越感や悔しさを楽しんで味わっているのである。

3.代理戦争の戦士に市場経済の法則が
 近年の代理戦争は高度化するばかりで、プロ集団による争いの高度化が益々進んできた。プロの選手(戦士)も能力の高い戦士は、市場において高い値段で技能を売買される。人間まで商品化し市場価格がつくのであるから、通常の市場経済と何ら変わらないのである。戦士の能力を市場経済で売買されるのであるから、戦士自身も高く売るための体力や技能に磨きをかけ商品価値高めるよう努力する。そのため戦士の商品価値に関心を寄せることは当然であり、直接参加する戦士ばかりでなく、争いを企画する者から争いを観戦人まで、すべての利害関係者は、大きな争いのうねりに巻き込まれる現象が、代理戦争の仕組みである。

4.代理戦争の影響は軽い作用で済む
 試合(戦場)で戦う選手(戦士)たちは、直接の戦いで勝ち負けを体験するのであるから、勝ったときの優越感や感激は大きいであろうが、負けたときの挫折感や悔しさも当然激しく作用する。そのため挫折感等のストレスやプレッシャーが大きく作用する。しかし観客である傍観者の立場であれば、ストレスやプレッシャーは熱烈なファンは別にして、ワンクッションをおいている観客の立場では、軽い作用で済むものであり、ストレスの発生も軽くて済むのが代理戦争である。

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