<219>博打までして競争遺伝子を満足させる
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 07/6/10(日) 09:36:30  返信も含め全削除

1.ストレスが努力の源泉となっている
 人間の肉体に組み込まれた競争を作用させる遺伝子は、どんな環境においても負けてはいけないと指令するように設計されている。そのため勝てば勝ほど更に勝つための努力をするように仕向けられる。このように競争遺伝子は無限に作用するようなっている。しかし、一定エリア内における競争の結果は、当然序列が付くのは当たり前であり、全員が勝者になることはあり得ない。しかし体内に組み込まれた競争遺伝子は、負けたことに甘んじて我慢することができないようになっている。精神的には悔しい思いが募ればストレスが蓄積するし、この蓄積されたストレスは、良い面と悪い面を持っており、悪い面の作用としては、ストレスのはけ口として暴力や暴言となって現れ、周囲のものに迷惑をかける場合が多い。また自分で自分を攻撃する場合もあり精神病まで追い込んでしまう。しかしストレスには良い面もあり、次への挑戦するエネルギー源となる。このエネルギーが勉強やトレーニングの努力の原動力となっている。

2.競争遺伝子が必要とされる理由
 勉強やトレーニングの努力によって勝利することもあるが、大部分の者は敗北してしまう。これは当たり前のことであるが、競争遺伝子はなかなか納得してくれない。何故なら競争に負けることを想定して設計図が書かれていないからである。この点で神様は負けても生きていけるように設計してほしかった。もし神様が現状の遺伝子が無限大に作用することに気がついていれば、少しは遺伝子の設計を変更したに違いない。しかし宗教家は、神様は人間への試練として与えてくださったのであると言う。しかし私は神様が設計ミスしたか、神様の味方の立場で言うならば、競争遺伝子を現状より少し甘く設計しただけで、人類は死滅してしまったかもしれない。何故なら人間を取り巻く環境は、多くの外敵に囲まれており、体内にまで多くの生物と共存している。多くのウイルス等の細菌と常時戦いながら生きているのであって、正常な体力を維持するために、免疫力を高めるための大変な努力しながら生きているのである。

3.偶然の因子まで利用して競争する
 人間は、無限の競争が作用する中で生きていかなければならない。しかし現状は勝ち組が少数で、必ず負け組みが打大数必が負け組みとなってしまう。人間は負けたままでは生きられないように設計されているから厄介である。このような環境の中で出てくる現象が、博打であり宝くじ、くじ引きといったゲーム的な行為である。通常の努力では勝ち目が無い場合は、努力とは無縁な偶然の因子まで味方にして勝負する。自由競争の社会で、いくら競争心を煽られて努力をしても、体力や財力、学力、地位等に優劣がついてしまう。そこで最後の神頼みとして偶然の因子の作用を利用することになる。負け犬状態であっても財産的に勝つことができる可能性があるからである。競馬や競輪、宝くじはこれに該当する行為である。

返信 ご意見やご質問をどうぞ

パスワード

一覧へ戻る】 ※最新の画面を表示するには再読み込みしてください.