<233>超個人主義社会研究の重要性
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 07/9/24(月) 11:45:18  返信も含め全削除

1.超個人主義社会の集団ルール
 個人主義とは、自分自身の基準を持ち自分の規準で行動するひとをいうのである。したがって個人主義は決して悪いことではない。それどころか自分の物差しを持ち、価値観に揺らぎが少ないこともあり、他人からみればその人物像がはっきり見える面もあるのであるから、個人主義者を別に社会問題として捉える必要はないのである。一般的に個人主義を問題として取り上げる場合は、周囲の人や利害関係者に迷惑な行動を、気にせず行動する行為が嫌われているのである。近年の超個人主義社会である2世代目に入った一人っ子社会は、個人主義、集団主義の良し悪しの問題を別にして、量的に個人主義者の数が増えており、中でも2世代目の一人っ子による筋金入りの超個人主義者が増えていることは間違いないのである。そのため、個人主義者が量的に増えると共に、超個人主義者が周囲のひとに、居心地が悪い状況を作り上げている行為も増えてきたのである。そのため新しい集団社会の集団ルールの要請が強くなってきたのである。

2.集団内のルール化
 社会において行動することは、社会という集団の中で行動するのであるから、そこには自然にルールが必要となる。過去の集団主義者が多かった時代の大衆は、家庭や学校、職場に集団主義のルール存在していた。それはマニュアル化したものではなく、生活文化自体に集団のルールが溶け込んでいたからである。然るに近年の社会環境は、一人っ子による生活文化が習慣化してでき上がった個人主義時代であるから、過去とは生活環境が大きく相違する。これは集団主義と個人主義の対立の問題ではなく、個人主義者が集団の中で行動する場合のルールが必要になっただけである。過去の集団主義社会では、集団行動自体にルールが習慣文化として溶け込んでいた時代は必要性がなかった。しかし、今日の2世代目の一人っ子時代の超個人主義の社会であっても集団化の場面が存在する。仕事や学習、生活をするためにも最低限の集団ルールが必要である。そこで個人主義者でも合意する内容のルールをマニュアル化する必要性が出てきたのである。

3.集団内のルール内容の検討
 集団内のルール化をする場合に、過去型の集団主義者の意見では、何でそんな当たり前のことをルール化するのか、或いはマニュアル化する必要性があるのかという意見が出てくるが、超個人主義者の生活習慣文化の中には、過去のような集団ルールが溶け込んでいないのであるから仕方がないのである。改めてドライに割り切って超個人主義者のための集団ルールを決めて、公開することが重要な時代となってきたのである。問題は、どんな内容を検討すべきかである。集団主義者が集団ルールについては常識の問題であるという主張からすれば、過去の集団内部の常識をすべて検討し、その中から最小限のものをルール化し、マニュアル化して公開することが重要である。例えば、集団主義者時代のいじめについて検討し、最低限のいじめ回避のルールをマニュアル化させることによって、マニュアルを進化させ、いじめを回避する仕組みの研究に寄与するのではなかろうか。

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