<234>超個人主義と自由主義化の潮流
新規投稿者 阿座上洋吉  投稿日 07/9/30(日) 12:05:13  返信も含め全削除

1.人間の自由と拘束という二律相反する行動について
 個人主義と自由主義は、本来同列に議論するものではないが、長い歴史の中で人類が求めたものは自由主義であった。個人の行動については誰からの束縛を受けずに、自分の自由な意思によって行動することができる社会はすばらしいことである。それは単なる我が儘であるであると言われるかも知れないが、人類の終局的な願いであろう。独裁者に支配されている状態と比較すればよく分かるように、人間は基本的に他人によって支配されることを好むものではない。しかし人間は自由でありたいと思う反面、一定の規律が利かない社会も好まないのである。この一定の規律とは集団の規律を指しており、その規律は個人の自由を多少制限するものであり一種の規制である。人間はどうして自由と規制という二律相反することを求めるのであろうか。自由であるためには個人主義化することになるが、一方で人間は一人では生きられないと言い集団化する。これも二律相反する行動である。

2.集団主義文化としての規律
 地球上の生物創世期には、種を承継させるための仕掛が必要であった。生命体としての種の保全のために本能的に集団化して身を守る仕組みが必要であった。弱いものは集団化して身を守る本能的行動があるが、このことが人間は一人では生きられないということを遺伝子に刻み込まれているのであろう。その結果として人間は集団で行動する本能がある。この集団化する中では集団の統制が取れるように最低限の規律ができ、その規律が集団文化として定着する。昔から他人に迷惑を掛けないような一生を送りなさいと言われることも、集団文化としてでき上がった規律を守りなさいという意味である。しかし近年の日本で起きている犯罪やいじめ問題は、過去に起きた事象とは大きく変わってきている。その事象の形態が欧米型に類似してきたことはグローバル化現象のためでもあり、犯罪までも世界標準化してきたのであろう。日本より先行していた欧米の個人主義化の現象が、情報化社会で流動化社会に入ったのであるから当然の現象かもしれない。

3.個人主義と自由主義の流れは止まらない
 日本は大きな潮流があり個人主義と自由主義が益々進むであろう。第一の潮流は、一人っ子第二世代の親から生まれた一人っ子第三世代の子供である。この第三世代は、一人っ子第一世代の祖父母の孫であるから、もはや集団主義の因子が完全に抜けた純粋培養の一人っ子育ちである。この子供達は過去の日本には存在していない超個人主義人である。長く続いた集団主義の文化が抜けた人種である。第二の潮流は、日本のような平和な国では、個人の自由な行動が制限されない社会であり、本格的な自由な社会環境となったため、超個人主義人が自由に行動できる状況になってきた。集団主義者の長老からすれば決して居心地の良い環境ではないが、この二つの潮流は止まる気配は全くない。むしろ世界的に見られるように、個人の自由な活動が極端に制限され、自由を奪われている国が沢山存在する。確かに行き過ぎた自由主義が指摘されているように、自由主義も決して良いことばかりではないが、歴史が示すように、人類は自由獲得運動の歴史と言っても過言ではないのである。

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