大連の生活が始まった2
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 05/2/14(月) 17:09:25  返信も含め全削除
懐かしい日本の曲も
 朝六時から学生寮の宿舎の方から、聞いたことのある曲が、何とも軽やかな調べに乗って聞こえてきた。
  「埴生の宿」「鉄人二八号」「ドレミの歌」「幸せなら手を叩こう」の日本の曲や「クワイ川マーチ」「マイオールドケンタッキーホーム」など、今の日本では聞くこともできないような、レトロ調の曲が鳴り響く。
 この曲は学生自治会から流されているという。
学生たちはこの音楽が聞こえだしたら行動開始、六時半にはグランドに集合して、体操が始まる。日本のラジオ体操1,2を良く知っているが、この中国の体操に参加してみて、ゼンゼン趣の違った体操であった。
 班長(日本流では、昔の級長、今風では学級代表)が点呼を取る。出席を確認して約一〇分の体操は終了。
  それから学生たちは食堂に大移動、この大連水産学院は4000人ほどの小規模の大学であるが、4000人の学生が移動する姿は壮観である。
食堂が全員を収容しきれないので、半分くらいは、宿舎に食事をもって移動していく。
小中学校は朝七時の始業、大学は八時からの授業開始、私も自室の炊飯器で炊いた日本食を食べて、教室へ向かった。
 9月1日、猛烈な熱さである。気温35度、札幌では体験しない熱さが続く。
汗っかきの小生は汗を拭き拭き授業しているが、学生たちは35度くらいの熱さを何とも思っていないのか、汗かく日本語教師を怪訝そうに眺めている。


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