回想中国2の1
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 05/2/21(月) 06:41:19  返信も含め全削除
回想中国 2       私の中国の友人
(1999,9,10 2004,12一部修正)
友人は航海学博士 
 大連に到着した次の日、大連市内を案内して、私の買い物のお世話をしてくれたのが、干暁利(ウシャオリ)先生であった。大連水産学院海洋漁業副主任、遼寧省航海学会理事、航海学博士の肩書きを持つ少壮の助教授、すらりと伸びた肢体、いかにも目元が涼しげな、明眸皓歯(男性にも当てはまるような)若々しい生気が漂う好男子である。
 この人がなにかとお世話していただくうちに、すっかり肝胆相照らし、「仲のいい友達になった」と彼は言う。私より20歳以上は若いけれど。
「三木先生は、私のお友達です。日本人のただ一人のお友達です」と宣言された。「滝廉太郎、知っていますね。荒城の月、箱根の山、いいですね。名曲ですね。」そして最後に必ず「三木先生は、私のお友達です」と付け加えて確認する。
 滝廉太郎もすっかり忘れていた作曲家であるし、「荒城の月」も「箱根の山」も2,30年歌ったこともない。名曲ではあるが、もう日本人には古色蒼然といっていいかもしれない古い歌である。
 そして北海道の然別湖に話が飛ぶ、「然別湖、あの湖は静かな環境、きれいな湖ですよね」ああ然別湖に行ったことがあるのだ、、、と当然そう考える。
 しかしよく聞くと、全て書籍で調べたことであり、ビデオでもテレビの映像でも見たことはなかったのであった。

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