回想中国2の2
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 05/2/28(月) 09:53:46  返信も含め全削除
私は初対面の時、覚え立ての中国語で「私は日本人です。日本語の教師です。名前は三木伸哉と言います」と言うと、「素晴らしい中国語です。発音がはっきりしていい。とてもお上手です」と、はっきりお世辞と分かる褒め言葉。
 それからたどたどしい中国語の会話を試みるが、一言一言発音を直される。まだ基本的に発音の基礎が出来ていないので、何度も注意されるが、それでも諦めず指導してくれる。実に目元の爽やかな中国人教師である。
奥様は大連市内の勤務医、一人っ子の坊やは6年生、先日もこの家族の案内で、大連市内の夜の観光スポットを車で巡り歩いた。
 勤務医といっても、医者はすべて国家公務員、日本や欧米のような高給取りではない。一月1000元(14000円くらい)という。二人で2000元くらいの収入。これがその当時(2000年頃)の夫婦共働きの平均的な収入であった。
 日本人には奥様が医者であると聞いただけで、かなりの裕福な家庭を想像するが、内実はそうではない。
 彼は私が中国初体験の生活のあれこれに便宜を図ってくれた。その明るい風貌、明晰な日本語、一度も日本に留学したこともない彼であるが、実に流ちょうな日本語を操る。
しかし時々私の質問には答えがない。話すことはできても聞くことができないのは日本人にも共通であろう。そのような中国人はゴマンといるのであった。


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