回想中国7の2
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 05/4/27(水) 22:30:28  返信も含め全削除
「トーサンは何のために中国へ行ったの」
当時札幌の娘とメールのやりとりをしていたので、「こんないい話があるわ」とそのいくつかを知らせておいた、ほんとうは真剣ではないのだが、中国人の特性を知らせるためにも、美味しそうな話のいくつかをメールに載せた。
家内も娘も、トーサンならやりかねない、競馬にも手を染めたことがあるし、堅い仕事の割には、勝負師のような気配もあったと思ったのであろう。
娘のメールにも、家内からの手紙にも(家内はメールを送れない)そんな危険なこと絶対しないで、老後の退職金の残りもスッテンテンになってしまうのだから、という便りが届いた。
 そして極めつけは息子からのメールであった。心配のあまり家内は横浜に住んでいる息子に電話をかけたようである。
ある日息子から次のようなメールが入った。
「トーサンは何のために中国へ行ったの。中国の大学生に日本語を教えに行ったのじゃなかったの。貿易をする目的で中国へ行ったのかい」グーの音もでなかった。まさにそのとおりであった。未練ごころは多少あったが、老いては子に従うことにした。劉先生にも「家族が心配してますから」、、、と
 しかし優柔不断であった私に劉先生は、二年間の大連の生活を終える最後の最後まで、執拗に情報の提供をしてもらい、何とかタッグチームを組みたかったらしい。
お別れの挨拶に行ったときにも、別な中国人が来て美味しそうな話をしていた。
しかし日本人でも若い人は違う。同期派遣の女性の中で、それを立派なビジネスとしている女性を、遠くから羨望の眼差しで眺めているこの頃である。

返信する

パスワード

一覧へ戻る】 ※最新の画面を表示するには再読み込みしてください.