回想中国 18の2(旅順の大虐殺)
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 05/10/5(水) 08:20:29  返信も含め全削除
 日本軍の大屠殺(中国語ではこのように表現されている)が始まった。人民を一箇所に集め抵抗できないように縛り、次々と殺していく。18000人が殺され、幸いにもその難を逃れたものわずかに36人であったが、彼らは死体処理のために残された。」とある。江沢民時代に創られた教科書、反日教育を徹底させようと編纂された教科書、その教科書を日本人の私が全面的に承服できない気持ちではあるが、それに近いことは行われたのであろう。
  その当時からもう106年も経過した、当時を知る最後の語り部は、もう誰もいない。
桜の花満開の木の下で
旅順は元満州の最南端に位置する。大連市よりおよそ20キロ。明らかに大連とはその印象を異にする。軍港あり、日露、日清戦争時代の博物館あり、機密保持のための衛兵の見張り、外国人を監視する場所があり、大連の伸びやかな風情とは趣を異にする。
この旅順での日本兵の行為に贖罪の気持ちをこめて贈ったのであろう。ある日本人が100本以上の桜の木を旅順郊外に植えた。
毎年の春5月、大連市の日本人教師およそ50人と大学に勤務する中国人教師合同の花見が行われる。
すべて大連政府の好意によって、日中友好の行事としてこの旅順校外の桜の木の下で、数百人が集まってくる。5年前の花見も楽しかった。
大勢の中国人教師の車座のなかに盃を傾けて、桜花の花弁の降るなか、ビールや白酒(バイジュウ)を飲んだ。
あれから5年過ぎたが、あの花見の行事はまだ続いているとい

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