回想中国 21の2 (マンションを追われて)
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 05/11/25(金) 20:55:47  返信も含め全削除
日本語科の人気の凋落
どうして日本語科に生徒が集まらないのか、もう5年前のことではあるが、その頃からはっきりとその傾向が顕れていた。日本のバブルがはじけた1992年ころから、日本経済の凋落ぶりは、日本語学習にも敏感に反応しだした。もう既に中国は日本を飛び越えてアメリカに目が向けられていた。
中国の学生は外国語を必修として学ぶが、第一希望は英語、その希望に適わなかった(定員の関係で)学生たちが日本語科などに回される。
したがって外国語の主流はなんといっても英語であり、日本語は亜流である。かつての「日本の科学技術に学べ」「日本の会社組織に学べ」ということも色褪せだした。
因みに現在の胡錦涛政権のブレーンのうち7人が、主としてアメリカの一流大学を卒業した側近で占められ、日本の大学卒業のブレーンは一人もいない。だから英語ペラペラの側近が、何の苦労もなくアメリカ政府と通訳を介さずに会談をしているのである。
マンションに帰ったら、フイジー島の彼女は、「どうでした、理事長はなんと言ってましたか、私は何処に行ったらよいのでしょう」と熱心に聞く。
もうそれどころではなかった。私と一緒にこのマンションで、再就職の心配を胸に抱えながらも、何日か仲むつまじく暮らすほか、手だてはなさそうですよと答えた。それから5日ほど経って、理事長から転居して欲しいと言われた。
さあ彼女との5日間の後、何処へ行くのであろうか。

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