回想中国23の1「大連監獄の隣へ」
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 05/12/16(金) 17:19:13  返信も含め全削除

大連管理幹部学院へ
管理幹部学院とは、なんと堅苦しい名前であろう。この学院はその昔、中国共産党の幹部を養成する学院として創立されたという。しかし私が着任したときには昔日の面影はなく、誰でも入れそうなレベルの低い大学であった。
 大連駅のすぐ傍にバスの発着所がある。青泥街と言う名の大連の中心街は、その名前の通り、昔から泥炭のような土地であったのであろう。大連駅の裏側は、表側の煌びやかな風情とは違い、ごみごみしたスラム街の街並みが続く。
 バス停からおよそ15キロ、どこまで行っても1元(およそ15円)のバスに揺られて着いたのは、大連でも一番噴煙のたなびく土地、新興工業地帯特有の石炭を燃やす噴煙が覆っているような土地であった。
 贅沢は言えない。なにしろ私立学校の理事長李さんのお誘いにのって、私立学校の開設をお手伝いしようとしたのであるが、日本語教室の生徒が集まらず頓挫、開校できなかったのである。尻尾を巻いて日本へは帰れなかった。

学生およそ8000人、学院であるから、修学年数は3年である。この宿舎に身を置き、9月からの授業に備えた。9月初旬といっても、炎天が続く。35度以上の炎天下で、新入生の軍事訓練が開始された。
江沢民時代から開始された愛国教育の一環、脆弱に育ってきた一人っ子の大学生に、この軍事訓練は相当厳しいものであるはずだが、約一ヶ月学生たちはこの訓練を受けて、見違えるように背骨がシャンとして、目が輝いてくる。

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