回想中国29「新中国成立当時の文学」
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 06/6/3(土) 09:24:01  返信も含め全削除
1949年新しい中国の誕生当時の、現代中国文学はどうであったのだろう。
その典型的パターンというものがある。毛沢東の号令で、「文学は政治に奉仕しなければならぬ。」「労働者、農民、兵士を精神的に奮い立たせるような作用を持つのが、文学の使命」とされた。
 まず登場人物は善玉と悪玉がおり、その背景には労働者、兵士、農民が、善玉を支援し、やがて紆余曲折を経ながら、悪玉が滅びていくというお話である。面白くも何ともない勧善懲悪的なストーリーの展開であったようである。
 作為的な人物描写とプロットの展開、読みはじめてすこし経つと、もう結末が分かってしまうという。作家達も、紋切り型の台詞、清潔でご立派な主人公、模範的な人物像を描くように教育されたというか、当局に睨まれないように、こぞってこのような詰まらぬ物を書かなければならなかった、その当時の良識ある文学者に同情している。
 その最たるものが一九六六年から十年間に亘った文化大革命であった。模範とされる英雄は、より英雄らしく描かれ、このようなことを冷静に判断し、批判したインテリゲンチャーは矮小な悪玉とみられ、多くのインテリは下放に遭い、終生遠隔の地で果てたり、また果てようとしている人達である。
 その文革の文芸政策を担当したのが、江青であった。彼女を含めた四人組みが、一九七六年十月打倒されるまでの十年間 、中国の文学のみならず、生活全般にわたりこのような、拘束から抜けきることはできなかった。
 四人ぐみの打倒は単なる政治的な事件ではなく、中国の民が長い間の桎梏と呪縛から解き放たれた革命的な事件であった。
  先鋭的な紅衛兵であればあるほど、ブルジョア思想を持ったと思われる学者、有識者のインテリに苛斂誅求の糾弾を与え、苦しめた。そして紅衛兵運動に参加した者達は、真の革命家として己を鍛えるために、辺鄙な山村や荒野へと赴いていった。

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