「男たちの大和」とその時代 2の1
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 06/7/6(木) 06:13:52  返信も含め全削除
戦艦大和の船体のあらまし
昭和一九年二月、神尾たち少年兵は、はじめて大和の乗船を開始する。
大きな背嚢を背負いタラップを登る。日焼けした顔、輝く眼、漲る筋肉、若々しい少年たちは世界一と言われる戦艦大和の甲板にたつ。
 太平洋戦争末期の日本、もう敗戦は色濃く、レイテ沖海戦に惨敗、戦艦武蔵をはじめとする戦艦、巡洋艦は次々に失われ、海軍に残されたのは戦艦大和、あとは残り少ない巡洋船ぐらいであった。
 大和の起工開始が昭和12年、竣工が昭和16年12月、竣工からかなり長い歳月のあと、いよいよ本格的な対戦への出陣である。これまで何回か対戦もあったけれども、この沖縄に向けての航海が最後になる。
この大和がどうして世界一といわれるのか。当時の国家予算のどの程度をかけたのか、全体像、乗組員などの概況を調べてみた。

造船所 大日本帝国呉工蔽(広島県の呉市である)
船種  超弩級戦艦  全長 263M  最大幅 38.9M
乗組員 2800人  (最後の乗員は3300と言われている)
主砲  46p3連装、3基9門(この46cmという砲筒内径が世界一であ  り、射程距離も船の大きさも世界一と言われていた)
  当時アメリカはパナマ運河を航行しなければならず、これほどの超弩級戦  艦を造ることはできなかった。
建造費 当時の金額で、1億3780万円、当時の国家予算40億の3%を占    める。単純に今年きまったの来年度の国家予算80兆として3%は、
    2、4兆円になる。このような建築費、乗組員の生活の確保のために、
    一般国民の我々の生活はどうであったろう。

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