「男たちの大和とその時代」 7の1
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 06/9/20(水) 06:55:31  返信も含め全削除

戦艦大和の日常生活(兵員の休暇、上陸)
太平洋戦争の前期には上陸も頻繁にあったが、太平洋戦争も後半になると、大和は呉市に碇泊していることが多くなった。
大和乗船の新兵は、僅かに支給される給料(当時の記録では6円程度)から、貧しい親元に送金する新兵、しるこ屋に入るのがただ一つの楽しみという新兵、上官になると余暇の過ごし方も違ってくる。
後に紹介する内田二曹にも芸妓の恋人がいたようであるし、階級が上になると呉市の置屋に馴染みがいて、登楼していたという記述がみられる。

戦艦大和と武蔵は別格扱い
戦艦武蔵も大和と全く同じ超弩級の戦艦であった。構造も、乗組員の数も排水量、主砲、副砲なども同じであった。この二つの戦艦は他の船とは比べものにならない。ほかの艦ではクモの糸のようにハンモックを吊して寝る。そのスペースを片づけない限り、居住空間が無かったが、大和、武蔵は、三段式のベット、部屋の中央には10人以上が座れる檜でできたテーブルがあり、三度の食事、故郷への手紙をかいたり、くつろげる空間があった。

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