男4人のタイ訪問記 6−2
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 07/3/8(木) 06:37:35  返信も含め全削除
「この道路はベトナム戦争の時、アメリカが造ってくれたのです」
ガイドはバスがバンコクからアユタヤの道路を走っているとき、突然「この道路はベトナム戦争当時、アメリカが造ってくれたのです」と。
タイはアメリカ軍の後方支援として、この軍用道路からベトナムへ物資を運んでいたのであった。また北ベトナムの空爆(北爆)の空軍基地も提供している。

そしてタイの軍隊も1967年には、約2000人がベトナム戦争に参加している。もちろん米軍の支援であり、東南アジアの共産主義化を恐れたアメリカの反共政策に加担していたのであった。
 どうしてインドシナ半島で、タイだけが突出して豊かになったのか、それは親米政策をとった政府が直接、経済的な援助を得たからであった。

昨年4月、ベトナム、カンボジアを訪問したとき、ベトナム戦争の終了の30年後を見てきたが、いまだに枯れ葉剤の後遺症で苦しむ人たち、地雷で手足を無くした人たちの惨状を見てきたが、あのベトナム戦争で、南北ベトナム人や兵士が、行方不明も含めて300万人にも達した。
アメリカ兵は58、200人が死亡、そしてあの「地獄の黙示録」にでてくるようなアメリカ兵がベトナムの奥地に逃亡した兵士の数も明らかではない。
 そしてアメリカは結局敗れたのであった。あの当時のアメリカ国内でのベトナム反戦の世論の高まりは、はっきり記憶にある。 
昨年クリントンがベトナムを訪問したとき、彼はベトナム人に、ベトナム政府に一言の謝意も示さなかったのである。
 アングロサクソンの弱小国への驕りがまだ抜けきっていないのであろう。
このような現代的な背景を保っているタイ、インドシナ半島では突出した経済的繁栄を保っている国情がわかった。微笑と合掌の国では反体制にはなりづらい。

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