満州今昔物語 1の2
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 07/6/16(土) 06:55:05  返信も含め全削除
やがて学生自治会から流れる日本や欧米の曲、「埴生の宿」「鉄人28号」
「幸せなら手を叩こう」「クワイ川マーチ」「マイオールドケンターッキーホーム」
日本ではしばらく聞くこともなかったレトロ調の曲が流れて、学生たちは6時半からのグランド集合し朝の体操に向かう。
大連の手入れの行き届いた風致地区、海産物の豊富な土地柄、アサリ貝が小さなボールに入れて30円、ソイも鯖、雷魚もよく食した。スイカなどは一玉30円、目鼻立ちの整った大連美人、中国人にとっても、この大連に住むことは涎の垂れそうな土地であろう。まさに垂涎の土地、大連である
 その大連の大学で2年間の日本語教師、日本では信じられないような敬愛の気持ちで接してくれた学生たち、そしてお隣の旅順を訪問し、「日本人と分かると危険です。中国人になりすまして、ゲートをくぐりなさい」と言われた街路。銃口の覗く危険地域を足早に去っていった日のことなど。
実際に体験した様々なことを振り返りながら、満州の今昔を書き進めていきたい。
 この大連に住んでいたその当時のはなしと、日清、日露戦争時代の旅順の今昔、この目で見て確かめた瀋陽、長春、ハルピンの歴史と現在など、中国のこれからの展望など、どれほどの記述なるか、自分でも見当がつかない。

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