満州今昔物語 6の1
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 07/8/4(土) 16:47:35  返信も含め全削除
満州今昔物語 6
友人A氏の満州時代 4(満州からようやく遁れて)
その後友人のA氏は、母と二人の弟妹と一緒に無蓋車に載せられて長春から遼東半島のつけ根まで、幾日の旅であったか記憶になかったという。無蓋車の周りに墜落防止のロープが張り巡らされていたとはいえ、危険きわまりない。
 乗車時に一切の刃物を持参しないようにと命じられたが、10才の彼の脳裏に何時この小刀が役立つかもしれないと、ひそかに隠し持っていた。
食料が支給されるわけではない。時折停車するときに、無蓋車から飛び降りて畑の作物を調達し、母や弟妹に野菜の葉っぱのようなモノを、レントコーン実の入っていないのを分け与えて、命を繋いできた。ガラガラにやせ細ったとはいえ、なんとか露命をつなぎ止めることも出来たのであった
母から襟元に縫いつけてもらった青酸カリをかみ砕いて、命は果てることもなく、母国の佐世保の岸壁に立つことが出来た。その航路が果たして何日を要したのか分からない。佐世保の沖から眺める日本の姿、3歳の時から母国を離れ、ほとんど日本という国がどんな国であることも分からない幼い少年に、感慨深いものがあったという。佐世保の埠頭で全身DDTの散布を受けた。
それから小樽までの汽車に乗り込んだ。網棚には荷物とベット代わりで満杯。窓という窓のガラスはほとんど割れていて風通しはこの上なく良い。何日間の鉄道の旅であったが、ようやく小樽に着くことが出来た。
私と同じ年齢であるが、満州に住んだ人たちは学齢が1年下になった。

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