満州今昔物語 6の2
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 07/8/4(土) 16:49:31  返信も含め全削除
古希を過ぎても彼の心には、いまなお満州時代の少年時代が鮮明に残っており、もう二度と満州の土を踏みたくない。満州どころか中国の何処にも足を踏み入れたくないという。そのトラウマを引きずったまま余生を送っていくのであろうか。

同じような体験した人は数知れないであろう。藤原ていの「流れる星は生きている」は、満州時代の辛酸、逃避行のすさまじさを描いた本はベストセラーになった。夫の新田次郎は妻に触発されて、気象台に勤務しながら作家になったし、次男の藤原 正彦は、いまや「国家の品格」をはじめとし、「遙かなるケンブリッジ」「祖国とは国語」などの実に読みごたえのあるエッセイを書いている。
 彼の作品の中に「満州再訪記」という一遍があり、80才を過ぎた老母の藤原てい、妻と子どもたち3人と一緒に、長春に連れて行くくだりがある。
朦朧とした老母の頭に、往時の長春の記憶が鮮明に蘇ってくる。
「ああ、あそこにはこんな建物があったはず、この道路の向こうにはこんな官舎があった」という遠い昔の記憶が、ことごとく事実であった。
 何と言っても記憶に残るのは、ソ連軍の進駐を機に、関東軍が橋梁を爆破して、生き残った満州開拓団の老人、婦女、子供たちを残して逃げていった行為であった。山崎豊子原作の「大地の子」の全巻のビデオを中国の学生たちに見せたときの、あの興奮した眼差しで画面を食い入るように見ていた学生たちの表情を忘れることは出来なかった。

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