日本の旅とその歴史の背景 1(モヨロ貝塚 1)2
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 08/4/5(土) 07:00:16  返信も含め全削除
私は中学校2年の時に生田原中学校から女満別中学校へ転校した。なにしろ中学校だけでも3校転校している、当時は父親の転居と共に家族もろとも転居するのが慣わし、「そんな見知らぬ処へ行くのはヤダ」といって、母親と子供が都会に残るご時世ではなかった。田舎の教員は一家もろともそんな宿命であった。
 女満別へ転校してまもなく、網走博物館に見学旅行があった。昭和25年の時であるから、モヨロ貝塚の名も日本中に広がっていた。
 米村館長さんのお話を聞き、オホーツク文化人が、5世紀から9世紀にわたりこのオホーツク一帯に住み、主として海の漁獲で生業とし、アイヌ人は主として河川の漁獲、山野の狩猟、耕作で生活していたこともわかった。
さいごに質問の時間がきた。私は「オホーツク文化人(モヨロ人)はどうしていなくなったのですか」と聞いた。米村先生は「おそらく、他民族との混交、混血で姿を消したのでしょう」と言われたことを記憶している。司馬遼太郎の「街道を行く」では9世紀に忽然と姿を消したと書かれているが、、、

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