日本の旅とその歴史の背景 3(知床1)
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 08/4/15(火) 10:32:34  返信も含め全削除
日本の旅とその歴史の背景 3(知床1)
地の果てに生きる者
知床は地の果て、日本最強の猛獣、ひぐまの跋扈するところ、その昔、森繁久弥の主演「地の果てに生きる者」の映画で紹介された処でした。妻が病気になり、あの陸の孤島を橇を引きながら、何十キロも離れた斜里の街に向く映像が蘇ってきます。長く厳しい冬を半島の番屋で、年老いた森繁がひたすら春を待つ映像も。
 この半島に岩尾内という学校があった。もう廃校になって、その痕跡もないようであるけれど、この学校にいっとき、あの大鵬の少年時代があったという。
「巨人、大鵬、卵焼き」の大鵬はロシア人の血を引く大横綱、少年時代の彼は、ロシア人との混血であるため、いじめにあい不幸な目にも遭ったようだが、実に心優しい少年で、毎日放課後、金槌をもって校舎の破損したところを1人で修理していたという美談も聞いていた。

先日、その大鵬と偶然羽田空港で出会った。往年のあの優しい面影、大柄な体は変わらない。ただ変わったのは彼が車いすに座っていたことであった。付き人に丁髷は見られなかった。栄光の大鵬の晩年を見た思いがした。
また高等学校を卒業したばかりの同期生が、斜里からウトロまで陸路が閉ざされて、荒海を船で帰った。しかし大きな波濤に飲み込まれ、18才の命を落とした事もこの斜里海岸であった。
そんな光景が、半世紀以上前の斜里海岸の風景が、一幅の絵画のように蘇ってくる。
 その斜里の知床が「世界自然遺産 知床」として、2005年7月に登録された。自然遺産として登録されるまで、斜里、羅臼の町民、行政はどんな苦労があったろうか、毎日のように伝えられるニュースの中に、太古の自然をどう守るか、手つかずの千古斧を知らないような大原始林をどうするか、鮭の遡上する魚道を、どのように自然遺産として復元するか、問題は山積していた。

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