日本の旅とその歴史の背景 8(本郷界隈 3)の1
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 08/6/6(金) 08:58:33  返信も含め全削除
日本の旅とその歴史の背景 8(本郷界隈 3)
東京大学安田講堂を訪ねて
一葉記念館を訪ねてから、中国派遣の同期4人は東京大学の門をくぐった。赤門である。もう黄昏時であったから、学生諸君は三々五々キャンパスを、家路に急ぐのであろう、足早に立ち去る学生が多かった。
銀杏並木の黄葉は、はらはらと路上に散っていた。銀杏並木の遙か向こうに、安田講堂の建物が見えてきた。ああ、あれが東大紛争の拠点になったところか、記憶も薄れてきたが、あのときの凄まじい映像、新聞の大見出しも蘇ってきた。

大学の理念を問うた東大紛争。昭和44年1月18日の朝日新聞は次のように伝えている。
「東京大学の要請を受けた警視庁は、本郷の構内安田講堂を占拠している全学共闘会議派を排除するため、機動隊8500人を導入、封鎖解除にあたった。
続々と構内に流れ込んだ機動隊は、バリケードの手薄な建物を次々と解放したが、安田講堂では、代々木は学生達の激しい抵抗にあい、持久戦状態になった。
機動隊はヘリコプターや放水車を動員、おびただしい催涙ガス弾を浴びせかける。
機動隊は警備車を先頭にして講堂に接近、ガス弾を打ち上げながら攻撃を再開、同3時半すぎ、北側の一階入り口から機動隊員はタテをかざして一挙になだれ込んだ。

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