日本の旅とその歴史の背景 18の2
新規投稿者 三木  投稿日 08/8/4(月) 09:46:16  返信も含め全削除
「時代閉塞の現状」の論文は、明治43年の東京朝日新聞に掲載された。この年に起きた大逆事件に衝撃を受け、社会主義思想に強い関心を示すようになり、明治国家の強権が、時代を閉塞していると、痛烈な批判を描いたのだが未発表に終わっている。
啄木は「一握の砂」を函館なる宮崎大四郎君、同国の友、金田一京助君に捧げると書かれている。
 明治四一年夏以降の作、一千余首より五五一首を、この「一握の砂」に収めてある。
小樽運河そぞろ歩き
2003年10月、中国派遣教師11期生の同期会を札幌と小樽で開催した。みな65歳を過ぎたシニアである。彼の地で1〜3年日本語教師として辛酸を味わいながらの中国での生活、久しぶりのであった仲間は、小樽運河のガス灯の灯る晩秋の夜、散策を愉しんだ。
「何とロマンチックな界隈であろう」というのが同期派遣の人達から発せられた言葉であった。
 
大正12年に完成し、長さ1300メートル、巾40メートルにも及ぶかつての運河は、存続か否かで長い間ずいぶん論議された。
しかしこのような形でも、かつての栄華を誇った、往時を偲ぶよすがになるこの運河の存続が、どれほど小樽の人達に、訪れる観光客に、夢と潤いを与えているか計り知れない。
  中国派遣教師の一同は、この小樽運河の景観、ガス灯が運河の川面に映り、星も瞬く夜空を眺め、「小樽へ来てよかったと」としみじみ語っていた。

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