日本の旅とその歴史の背景 21(島原天草にて 1)の1
新規投稿者 三木  投稿日 08/9/4(木) 05:34:46  返信も含め全削除
日本の旅とその歴史の背景 21(島原天草にて 1)
マイカー2400キロの旅の途中で
 もう18年前に遡る。友人夫婦と私たち夫婦4人は、夏休みを利用し、小樽から敦賀へ31時間の船旅を始まりとして、15日間の旅に出た。平成3年8月10日のことである。まだ教員が夏休みを利用して旅行を楽しむことのできた時代であった。今の先生方は夏休みも冬休みも無く、気の毒このうえない。
敦賀―舞鶴―松江―萩―秋芳洞―秋吉台―門司―平戸―長崎から熊本へ渡る途中、天草を通過した。トヨタカリーナは何の事故もなく、検問に遭うこともなく、順調に旅を続けていた。どことなく陰鬱な景色、火山灰に覆われたような土地に入っていった。
天草であった。その時何人かの子供たちの群れにあった。私は運転席の窓を開けて道順を聞いた。何年生くらいの子供たちであろう。4,5年生くらいの印象であった。

「熊本への道はこの道でイイのかい?」
「オジサン達どこから来たの、アッツ、札幌ナンバーだ。すごい。金持ちだ」
言われてみれば札幌ナンバーの車は、九州ではまだ一台も見たことはない。
札幌から車で九州までくるのだから、金持ちになるのであろうか。職業柄いつも質素な身なり、金ピカな物は一切身につけてもいないし、車もみすぼらしいカリーナ、金持ちと言われたのは、初体験であった。

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