日本の旅とその歴史の背景 21(島原天草にて1の1)
新規投稿者 三木  投稿日 08/9/4(木) 05:37:19  返信も含め全削除
ここが島原、天草、天草四郎の決起した国、「からゆきさん」と呼ばれる女性が、この天草を後にして海外に行かなければならなかった土地、遠く海外に身を売らなければならなかった極貧の女性たち、天草四郎が一揆を起こした背景にはどんな歴史があったのか。その天草に来たのであった。

16才の天草四郎が総大将になって
徳川3代将軍家光が死亡したという風聞が西の果て九州にも流れてきた。おりから天候異変が続き、凶作に次ぐ凶作、朝焼け、夕焼けの異様に赤いのは、地獄到来の前兆と噂されていた。天草四郎はキリシタンを救う天使という。
(老婆の声)
思い起こせや、26年の昔、とうとき伴天連さまが申されるには、いまにおなごのように美しい善(よ)かお人があらわるる。われらが難儀をお助けくださると、あの四郎様のこと、どげん、違いなか、、、、この声が民衆に伝えられていく。
旅の途中で通過した天草・島原は、雲仙岳の火山灰が堆積したのか、いかにも土地は痩せ、実りの乏しそうな土地柄、ああここで天草四郎が一揆を起こしたのかと、陰惨な歴史の一こまが蘇ってきた。
司馬遼太郎の「街道を行く」も読み、ビデオも調べてみた。一揆は当然起こるべくして起こったと言えよう。

力の漲った海、有明海を原城から臨めば、ひもねす居ても飽きないという、別名「日暮し城」。この城を築城したのは、松倉重政であった。
余所から着任した殿様は、領民に、かつて経験したことのない圧政をはじめた。途方もない税金のとりたてである。

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