日本の旅とその歴史の背景 22(島原天草にて2)
新規投稿者 三木  投稿日 08/9/8(月) 04:16:34  返信も含め全削除
日本の旅とその歴史の背景 22(島原天草にて2)
キリスト教がこの地に 
この土地にキリスト教が広まって、かなりの年月を経ていた。少年少女はラテン語も学び、オルガンで聖歌を合唱していたという。絵画も学び豊かな文化が広がっていた。
キリスト教が日本に伝来したのは1549年、ザビエルはどんな使命を帯びてキリスト教を広めたか。宣教師はローマ法王からそれぞれの国、それぞれの土地の様子を国に報告する、という使命をもった宣教師が多かった。たんにキリスト教の布教だけではなかった。

派遣されてから、その国の国情(地理、歴史、国民性、気候風土、文化程度、調べることの出来るものはすべて)本国に報告する義務を課せられていたようである。そんな義務があるとは知らなかったと、本国に帰ることを拒絶して、その国に帰化した宣教師もいる。その本国への報告が、それ以後から始まる植民地政策の基礎になっていた。ヨーロッパ列強のアジア支配、アフリカ、南アメリカの植民地化は、かれら宣教師の本国への報告がベースになっていた。
天草はキリシタンの島として人々は、農耕、漁労にいそしみ、勤勉な暮らしをつづけ、400年前、いち早くこの土地に西方から来た新しい教えの洗礼を受け、厳しい弾圧を受けながらも、信仰は守りぬかれていた。
この一揆が起きる寸前にも、しばしば藩の役人が来て苛斂誅求の迫害を与えていた。

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