日本の旅とその歴史の背景 25(まず長崎から1)
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 08/12/7(日) 10:32:35  返信も含め全削除

ぐるり九州一周6日間の旅のはじまり(2008,4,18−23)
羽田上空は乱気流のため、ヒコーキは上空を旋回し始めた。もしや千歳に戻るのではあるまいか、もう古希も十分過ぎて、何処でおだぶつになってもイイと腹を据えているものの、まだこの世に未練はある。40分ほど旋回して羽田に到着した。待っていたはずのヒコーキは待っていてはくれなかった。2時間待合室に待機して、着いた福岡は燦々たる陽光であった。

ガイドさんは目鼻立ちのくっきりした若そうな女性、遠目がきくといっても後部座席からは、彼女の目尻までは分からない。彼女の自己紹介の第一声の後、
「みなさん、長崎と言ったら何を連想されますか?」
「ザボン、グラバー亭、三菱造船、オランダ坂、長崎は今日も雨だったetc」
と各自思いつくまま応えている。誰1人原爆投下とは言わない。昭和20年8月6日ヒロシマ、9日ナガサキのあの惨禍は、とうに還暦を過ぎた日本人には忘れたのであろうか。忘れる訳がない。しかし皆さんは忌まわしい過去には触れたくないのであろうか。
 ガイド嬢(自ら19才と紹介しているので)は、まず平和祈念像から案内した。
今回で3回目の長崎であるが、この平和祈念像は10年ほど前に左手の手首が折れて修復、その時全面塗り替えてコバルトブルーのような色に染まっていた。
 

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