日本の旅とその歴史の背景 28(平家の落人の里)の1
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 09/1/6(火) 05:38:28  返信も含め全削除
日本の旅とその歴史の背景 28(平家の落人の里)
平家の落人の里、椎葉
鹿児島に向かう道をガイド嬢は、その豊富な知識と情感溢れる語り口で、乗客を飽きさせると言うことはない。大型バスにわずか18人のシニア、座席は広々と買い物の増えていく袋を置いても十分スペースがある。
 和気藹々の壮健なシニアの談笑が続く。
「この一帯は平家の落人が身を潜めるように暮らしていたのです。源氏の追っ手の目を逃れ、ひっそりと暮らすその生活ぶりは並大抵ではなかったでしょう。
壇ノ浦で敗れた平家一門は、それぞれ全国に散っていった。多くは九州の山里にも遁れているのです」ノートにガイドさんの言葉を出来るだけ記録していた。

「一ノ谷のいくさ破れ、討たれし平家の公達哀れ、、、」哀調を帯びた明治唱歌の歌詞が蘇ってくる。全国で一番広い村は、北海道の別海村、次に広いのは椎葉の村であるという。
 この地で平家の落人は、どのように生きながらえてきたのであろうか。来る日も来る日も源氏の追っ手の目を気遣い、部落の人からも平家の落人というレッテルを貼られては生きてはいけない。
奥日向の里に、身を隠したと言われる平家の落人、「ひえつき節」で有名な土地の肥後日向の境をなす天上の地に、平家の落人は細々と人煙をあげ、露命を繋ぐようにひっそりと暮らしていたのであった。
 よもやこんな人跡まれな山中に源氏の追っ手はやってきはしまい、と確信しながら生活していたのであった。

 しかしやってきた。源氏の那須与一の息子、那須の大八郎はこの里に平家落人を追い詰めたのであった。しかし那須大八郎はひっそりと、静かに暮らしている落人の心にうたれて、討伐することをやめた。そしてそこで静かに暮らそうとする。平家の落人の女性、鶴富姫と夫婦になり永久の愛を誓う。
しかし都からの命令により二人の間は引き裂かれ、物語は悲恋に終わる。
鶴富姫の屋敷跡として伝えられた民家がまだあるというし、平家の流れをくむという誇りと憧れのような村人の気持ちが、家屋にも顕れ、茅葺きの上に千木がかけられているという。

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