日本の旅とその歴史の背景 30(慟哭の知覧2)
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 09/1/28(水) 09:31:18  返信も含め全削除
日本の旅とその歴史の背景 30(慟哭の知覧2)
会館の中は撮影禁止であったので、小冊子の購入や、パンフレット、そしてノートに書き留めたことを転記してみたい。 
散華した若者達の辞世の句、文章など

母上様 
お達者でお暮らしのことと存じ上げます。二八年間の母上様のご苦心、ご辛抱、肝に銘じております。されば今日の日を勇んで征きます。
綾子のことについては、父上様と共に大変お世話になり、今日まで人並みに立ってきました。これもみな父上様、母上様のお力の賜と深く篤くお礼申し上げます。綾子の事に関しましては、母上様、こんご一層面倒見てあげてください。あれも正式な式も挙げ得ず、常に二人で一度でよいから帰郷したいと思いしておりました。それゆえ隣近所の人とはまだ親しくなれず、突然ひとりぼっちではずいぶん苦労すると思います。
 女は女、綾子のことはこれぐれもお頼み申しあげ、最後に母上様のご健康をお祈りして失礼いたします。 母上様    治男(巻紙にペンで走り書き)

館内を静かに歩きながら、ぎっしりと書き残された展示物に目をやると、64年前の若者の最期の姿が浮かんでくる。写真の中には、飛び立つ寸前に談笑しながら最後の食べ物を口にする若者、肩を組んで歌っているような写真、不思議に悲壮感は漂っていない。
 館内を歩いている中年の婦人の何人かは、嗚咽をあげている人もいた。こんなむごいことが、前途洋々たる若者が国のため、「天皇陛下万歳」「お母さんさよなら」と言って、20歳前後で果ててしまったのか、慚愧の想いが胸を突く。

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