日本の旅とその歴史の背景 34(西郷と鹿児島1no1)
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 09/2/22(日) 06:13:04  返信も含め全削除
日本の旅とその歴史の背景 34(西郷と鹿児島1)
バスが鹿児島県内に入り始めると、ガイドさんはこんな話をしてくれた。
「鹿児島弁(薩摩弁)は薩摩の人たちにだけ解るように創られたのです。余所者
が薩摩に侵入してきて、間諜(スパイ)のような行いをしたら直ぐ解るように、故意に難しい言葉を創り上げたのです」
日本で最も難しいのが薩摩弁と津軽弁と言われるけれど、こんな歴史の背景があるとは知らなかった。

 西郷と大久保利通はよく比較される。いま放映中のNHKの大河ドラマ「篤姫」にも二人は登場してくるが、まだ西郷は藩主の島津齊彬の死に遭っていない。(5月現在)
齊彬に可愛がられた西郷は、藩主の死去を追うように、殉死を考えるが、回りの人たちから諫められ思いとどまる。情熱的な西郷、知的で怜悧な大久保、隆盛が
剛であれば、大久保は発想が軟らかく、陽気な気性の西郷に比べると、陰鬱な印象の大久保であった。しかし彼らは少年時代からの親友であった。
 
このように親友であった大久保利通は、西郷と対照的なキャラクターを持ち、お互いに補いながら、共鳴しながら数々の修羅場をくぐっていたが、いったん二人の関係がこじれたら、修復不可能、敵味方になって坂道を転がるような関係になり、大久保は鹿児島県人からも嫌われ、ふたたび故郷の土を踏んだのは、40才を過ぎてからであったという。バスガイドさんも語っていた。

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