日本の旅とその歴史の背景 35(西郷と鹿児島2)
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 09/3/13(金) 10:36:50  返信も含め全削除
日本の旅とその歴史の背景 35(西郷と鹿児島2)
西郷隆盛の偉大さとその思想
西郷は日本の歴史上の人物の中でも、敬愛されている人物の5本指に入ると思う。
NHKの大河ドラマにも何度も登場しているし、幕末の小説、歴史書でも彼を悪く描く人はいない。それは何故だろうか。
しかし茫洋として何を考えているか解らぬとか、自己表現がきわめて下手であるから、あのような末路をたどったとか、言われている。
 平成の世の政治家では務まらないであろう。駆け引きもできないから。

彼の江戸城の無血開城、庄内藩への温情溢れる対処の仕方、流刑されてもそこで教育の場をつくり、こどもたちに教育したり、明治6年、明治政府の要人たち(岩倉使節団)がヨーロッパに視察旅行に出かけた2年間、彼は立派に総理大臣代理を務めた。留守を預かる西郷は、徴兵制、学制の発布、地租改正などの偉業をやってのけた。2年後岩倉具視たちヨーロッパ視察団が帰国したとき、西郷があまりにも立派に留守を預かっていたので、自慢話の一つも出来なかったという話もある。

今日総理大臣が町中を歩き、庶民が頭一つ下げなくても誰も何とも言わないし、天皇陛下に頭を下げなくても、おかしな目で見られるかもしれないが、警察に何とも言われないであろう。
しかし日本の歴史を振り返ると、大名行列を土下座して通すのが習慣であった。それを知らないイギリス人が、久光の大名行列の時、馬から下りず突っ立っていたと言うことから、たいへんは事件(生麦)、薩英戦争まで始まった。
明治維新になっても、天皇は勿論、総理大臣にはだれでも頭を下げたものである。
 日本が敗戦を迎え、民主国家になってから、人民は漸くその呪縛から説かれた。
民主政治の主人公は人民であるということが、実感として味わっているのは、戦後のこの64年である。

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