モンゴルの大草原にて 6no1
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 10/9/17(金) 06:51:01  返信も含め全削除
モンゴルの大草原にて 6
ジンギス・ハンの兵法
「地に境界線を持たず、人に差別無し」という考え方の彼は、絶対王制、経済至上主義を基本的な戦いの要諦として、戦いを続けた。
敵対してくる者には厳しく残忍であったが、帰順した者や部族には、遊牧民の鉄則、先に帰順した者から上座に座らせた。(厚くもてなされるように)そのような遊牧民族の戒律を、きちんと守っていた。

このような扱いを受けることは、中華文化の流れを汲む漢族には、我慢ならぬことであったろう。しかし本国と属国、本国と植民地という分け方をしたのではなかった。15世紀頃から始まったヨーロッパの植民地主義、19世紀には西欧の列強に遅れまいとして、かつて東夷といわれた日本も、韓国、台湾、そして満州を植民地として、皇民化教育をはじめ、日本語教育を徹底して、日本文化も押しつけた。
しかしチンギス・ハンはモンゴル文化を押しつけたり、自分たちの宗教を押しつけたり、他の宗教を弾圧したりはしなかった。モンゴル帝国はあらゆる人種、宗教、文化を取り入れて、モンゴル帝国を造ろうとした。そのような治世の方針が、大きく花開いていくことになる。
 モンゴル草原の一民族の孤児に過ぎなかった男が、40年の歳月を経て、モンゴル平原を支配し、ユーラシア中央部全体を支配下におさめ、ついに世界の大半を手に入れるに到る。
人種も、モンゴル人、トルコ人、漢民族、高麗人、イラン、ロシア、アラブの人種まで加え、孫のフビライの時代には、ハンガリーやイギリスの将校までも配下とする。

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