モンゴルの大草原にて 6の2
新規投稿者 三木 伸哉  投稿日 10/9/17(金) 06:52:28  返信も含め全削除
世界を目指した騎馬軍団の強さの秘密 1
騎馬民族は人数が非常に少なかったけれど、勝ち続けることが出来たのはなぜか。秦の始皇帝が造った「兵馬俑」には2回訪れて、第一発見者の息子さんに会ったことがあり、彼から戴いたパンフレットも大事にしている。その中にも始皇帝が、いかに北方民族のスキタイや、匈奴の侵入に苦労していたかが書かれている。農耕民族にとって、遊牧民の脅威は計り知れなかったに違いない。なにしろ折角収穫した農作物や、家畜類を、根こそぎかっ攫っていくのである。

まず「大量報復」という戦略があった。いったん統治した領土に反乱が起こり、統治者のモンゴル族が殺害されるようなことがあれば、その情報を聞きつけて、千里の彼方からでも飛んでやってくる。モンゴル騎馬軍団がかけつけて、生きとし生けるもの全てを殺した。これを2,3度繰り返すと、「モンゴルの大殺戮」の噂がひろまった。だれも恐怖のあまり反乱を企てる者はいなくなった。情報伝達の速さは戦場ではもっとも重要な要素になる。安上がりの統治方法であった。
モンゴルの大草原にて 7

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