旅順からの「坂の上の雲」2no1
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 10/9/27(月) 12:44:46  返信も含め全削除
旅順からの「坂の上の雲」2
璽霊山にて1世紀前の激戦を偲ぶ 2
ロシアの造った要塞に入っていった。しばらく時間を経過しないと要塞の中もはっきり見えないくらい闇の中である。
「ここに屍が累々と重なっていたのです」と王君。屍累々等という言葉は日本の若者には話せないであろう。何という達者な日本語であろうか。舌を巻いた。
日本軍の攻撃で、穴の空いた要塞が、往時の姿を残したまま保存されている。
 1904年12月5日、日本軍はこの高地を占領、ただちに28センチ砲で湾内のロシア艦隊を砲撃した。射程距離は1000メートルにも満たなかったと言われている。100年後の大陸間弾道弾のことを考えてみると、武器一つ取り上げても、まさに科学技術の長足の進歩が、何億何千万人の命を散らせてきたことであろう。
19、000人以上の日本軍の戦死者、彼らの霊を慰めるため、乃木将軍はこの地に銃弾の形をした塔を建てた。乃木希典大将の次男がこの地で、そして長男は旅順の近くの金州で戦死した。息子の霊はもちろん、自分の指揮によって戦死した多くの日本人の御霊に捧げたのであろう。
 璽霊山(ニレイサン)と呼ばれるが、この山の標高が203である。まるで語呂合わせのようであるが、そんなことを考えて命名したのであろう、おそらく漢詩をよくする乃木希典であったからそのように命名したと思われる。

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