旅順からの「坂の上の雲」3no1
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 10/9/30(木) 05:46:20  返信も含め全削除
旅順からの「坂の上の雲」3
日清日露の日本軍の残虐行為
無謀な突撃による日本軍の戦死者、前途ある若者がどれほど多く散華したことであろう。指揮官の指令は絶対である。無能な指揮官によって命を散らせてしまったことは、なにも日清日露だけではない、太平洋戦争では更に多くの兵士が散っていった。
大連に住んでいる当時、中国の高校で使用している教科書を調べたことがあった。それには旅順のなかに「乃木町」と書かれている一画があった。

あの温容な風貌、両頬に白いヒゲを蓄えていた乃木将軍は、当時の旅順の町で一番恐れられていた人物であったという。
「乃木がくるぞー」のひと言で、泣く子も黙ったという言い伝えがある。 
分厚い教科書のなかには、写真や挿絵が入っており、日清、日露、日中戦争当時の日本軍の残虐行為が、目を背けたくなるほど画かれていた。
その旅順の記述には、中国語でこのように書かれていた。

「1894年11月のある日、日本軍は100門以上の大砲で、旅順の町を攻撃した。清軍は海岸の砲台もつぎつぎに失った。人民を一個所に集めて抵抗できないように体を縛り、次々と殺していく。18,000人が犠牲となり、36人が死体処理の仕事に残された。」と書かれていた。
 あの当時から116年が経過している。当時の戦争の惨禍を知る語り部は、もう遙か昔に消えていったけれども、中国の高等学校の歴史教科書の記述にこのように書かれている事実と、日本の高等学校の歴史教科書の違いに唖然とする。
そしてあまりにも日本人の若者は日本の現代史を知らなすぎる。

返信する

パスワード

一覧へ戻る】 ※最新の画面を表示するには再読み込みしてください.