旅順からの「坂の上の雲」4の1
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 10/10/1(金) 06:10:40  返信も含め全削除
旅順からの「坂の上の雲」4
金州の今昔
大連は歴史が浅い。120年くらいの年月である。私が赴任したときは530万人くらい(2000年当時)であったが、いまや600万人を超している。
 その大連の郊外に当たるところに金州という古い町並みがある。
いまでは住民は1万人くらいになってしまったが、これも日本軍隊の破壊が原因となっている。そして文革が追い打ちをかけた。
かつてこの地域は1000年の歴史を誇る古都であった。町の両サイドに、
1000店の町が立ち並んでおり、由緒ある家並みが軒を連ねていた。日本軍と文革でことごとく壊されてしまい、往時を偲ぶものはない。

遼東半島の花園口に上陸した大山巌司令官は、ここ金州から大連、旅順へと、降下しながら進行した。当時の清国の軍隊は、訓練もしていない農漁村の若者達、実力も戦意も、眠れる獅子の清国への忠誠心、国家を何とか防衛しよう、他国から国を守ろうという気概が見られなかった。
 日本軍の跳梁跋扈が横行し、日本軍の横行を許してしまった国情があった。
ヨーロッパの列強、ロシア、アメリカ、そしてアジアの朝貢国であった日本にも侵略されて、八紘一宇などの美名の元に侵略に侵略を重ねた日本であった。
 1884年、日清戦争の始まる10前、日本軍がこの金州を攻略した。

その当時、名家であった曲家一族の夫人とそのこどもたちは、日本軍の陵辱に抵抗し、次々と古井戸に身を投げた。いまでもその古井戸が残っており、この土地の悲しい物語が、金州博物館に絵画となって再現されている。
その前にたたずみ、清朝時代の中国の歴史をふりかえることができた。

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