旅順からの「坂の上の雲」5の1
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 10/10/4(月) 11:06:41  返信も含め全削除
旅順からの「坂の上の雲」5
「坂の上の雲」が出版された時代
司馬遼太郎が大作を書こうとするとき、古本屋からゴッソリと資料になる古本がトラックで運ばれていくという。昭和40年代の10年間、かれはこの小説に没頭した。構想を練る、資料集める、人づてに聞いて回る、著作に耽る、推敲する、そんな作業をベースに「坂の雲の上」を書き始めたのであった。
もちろん小品は書いたであろうが、この大作に10年間という長い時間のスパンを考えるとき、司馬遼太郎という国民的作家が、この作品に渾身の力をこめようという気概が感じられる。

 昭和40年という年はどのような年であったろう。60年安保は昭和34年であったから、70年安保の年であったが、日本は第二期高度成長期であり、未曾有の経済成長をとげた時代、42年に人口は1億人を越え、47年に沖縄が返還された年であった。
札幌冬季オリンピックは、経済成長のシンボリックな行事として、私の家の近くの宮ノ森70メートルジャンプ台に3本の日の丸が揚がった時代であった。
つまり経済成長のまっただ中に向かう時代といえよう。
そんな時代にこの「坂の上の雲」が世に出た。まだサヨクも健在であり、全学連の過激な、先鋭化されていく時代であった。学生運動が榛名山の攻防で封印されるまで、まだまだ時間があった。そんな時代背景をもっていた。

私もこの作品が世に出たとき、一気に読んだ記憶がある。松山の3人の少年達
秋山好古、真之兄弟と、ノボさんとよばれた正岡子規の幼少時代から少年期、この3人の青春時代を描きながら、日清、日露の戦争を克明に描いている大作であるという印象であったが、はるか昔のことなので、細かなことあらすじさえも、ほとんど記憶がなくなった。
昨年の暮れ、放映された日清戦争終了まで、正岡子規の人生が終焉をつげようとし、好古、真之兄弟が陸海の精鋭として活躍するまでのNHKの5回分を録画した。そして新たに原作を読み始めている。

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