| 新規投稿者 三木伸哉
 投稿日 10/10/8(金) 17:32:56
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 明治のはじめの頃、日本は、日本人は 2
 十九世紀はいぜんとして列強の植民地化が続いていた。とくに東南アジアやアフリカは、ヨーロッパ諸国の餌食にされていた時代であった。
 とくに「眠れる獅子」といわれた中国への列強進出は、すさまじかった。
 日清、日露の戦争に勝った日本が、1945年8月15日の敗戦を迎えるまで、夜郎自大なこの国が、突っ走ったこの歴史は、明治維新からはじまり、日露の勝ち戦で後戻りできない国家体制を創り上げていった。
 
 山県有朋が我が国に徴兵制度を敷いたのは明治6年である。その背景にアジアが次々と植民地化されていった歴史的事実を前に、富国強兵をはからねばならないという思いがあった。またヨーロッパの現実もあったからであろう。
 1870年、アルザス・ローレース地域で、フランスがプロシアに破れる。
 私もドーテ原作の「最後の授業」という、フランスの片田舎の場面を、授業で扱ったことがあった。フランス国民が、もうフランス語を教えてもらえない世の中になる悲しみを見事に表現している場面であった。
 村人が大勢集まりフランス語の最後の授業を参観に来る。フランス語の先生は、黒板を向いたまま「フランスバンザイ」と書き、「さあみんなお帰り」と言って先生は黒板に背を向けたまま、授業を終える。
 
 
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