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新規投稿者 三木伸哉  投稿日 10/10/8(金) 17:34:12  返信も含め全削除
国民に重い足かせの徴兵制度
 そんな事が日本にも訪れるかも知れないという19世紀末から20世紀の時代、富国強兵の政策をとらざるをえなかったであろう。
明治の徴兵制度の始まった頃の記録がある。おもに長野県の記録であったが、明治6年徴兵の内容は、1,家族構成 2,宗教 3,納税額 4,刑罰
と書かれている。
長男は家を継がなければならないから兵役免除、教師も子どもの教育が優先であるから免除など書かれてはいるが、このような新たな国民の義務としての、
「兵役」には拒絶反応が強かった。

とうぜん兵役拒否のばあいは、重い刑罰がついた。家を捨て逃亡した者には重禁固、罰金刑がついた。村からとつぜん消えてしまった若者も多い。
失踪者は20年間で5万人にもなった。どれだけ兵役につくことを嫌っていたか。また農村には農村歌舞伎で、兵役につくことの残酷さを表現した。このような運動が、後の自由民権運動の先達となっていった。
フランス革命によって自由民権運動が燎原の火のごとく、明治の代に伝わってきたことも大きな要因になっている。
苦しい農民の生活を克服するために、「早く国会を開け」という運動が起きた。

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