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新規投稿者 三木伸哉  投稿日 10/10/11(月) 06:33:03  返信も含め全削除
日清戦争の戦闘場面と秋山真之の苦悩 
明治27年、イギリスの軍艦が清の国の兵隊を満載して、艦長東郷平八郎のひきいる「浪速」は清国兵の満載しているイギリス艦船に打電する。「浪速」からボートで敵艦に乗船した船員と交渉を行うが、埒があかない。
とうとう東郷平八郎は撃沈することにした。赤旗を揚げ(危険を知らせる)砲撃を開始した。敵側も応戦してきた。
 秋山真之は指揮官として采配をふるっていた。ごく親しい兵を任務に就かせたところ、敵弾が命中して、またたく間に絶命してしまう。
戦争とはこういうモノか。さっきまで、親しく話していた戦友がほんの1,2分で死んでしまった。揺さぶっても話しても何の応答もない。真之は呆然とたたずむ。海軍の兵役に就き、知謀溢れる男として嘱望されているのだが、あまりにもそのショックは大きかった。
「人が死ぬこととは、戦争とはこのようにむごたらしいものか、」沈鬱な表情のまま、艦長の東郷平八郎に拝謁をする機会に恵まれた。

「私の命令で甲板に上がった部下がものの1,2分もしないうち敵弾に当たり即死しました。戦争とはこんなにむごいモノでしょうか」
「君はまだ経験がないから分からないだろうが、戦争とはこういうモノなのだ。
私は艦長として、敵船の撃破を命令して、なんとかイギリス兵だけは助けたが、波間に浮かぶ清国の兵隊は一兵たりとも救わなかった。見殺しにしたと言っていい」敵船から流れた兵士は救うのが当然と、イギリス国内でも日本の東郷平八郎の処置は批判されたが、これは国際法上問題ではかったと言うことになった。しかし、日本の当時の中国に対する蔑視のあらわれではなかったろうか。

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