旅順からの「坂の上の雲」13no1
新規投稿者 三木伸哉  投稿日 10/10/24(日) 05:51:55  返信も含め全削除
旅順からの「坂の上の雲」13
旅順という町の今
大連市旅順口区(旅順)が、外国人に全面的に開放されてからまだ日も浅い。
日清・日露の激戦地と知られ、軍事機密の理由から長い間閉鎖されたままであった。
 旅順の町に中国人のなりすまして歩いたのは、10年も昔であった。街角には衛兵が立ち、黒い銃口が不気味に辺りを窺っていた。秘密のベールに包まれたままの街であった。中心地に近い白玉山からは、旅順を一望できる。
高さ66メートルの「表忠塔」が見えた。日露戦争後、乃木希典大将らの提案で建立された。

日本の統治下の旅順では、毎朝、学校で中国人も教育勅語を暗唱させられた。
皇民化教育は、台湾で、朝鮮で、そして旅順でも行われた。満州では奉安殿も建てられていたというが、ここ旅順では不明であった。
皇居の方角に向かって参拝していたと言うから、当時の世相がわかってくる。
日本の統治時代の旅順では、大学も、女子師範学校も建てられ、その学校で学び、終戦後追われるように遁れてきた人の話も耳にした。日本人は最大で1万5千人が暮らしていたと言われている。

遼東半島の突端に位置する旅順、大連の中心地より30qくらいの所にあるが、大連市の現在に人口、やく600万人のうちの26万人であるからほんの一部を占めるに過ぎない。しかし歴史の桎梏というものは、同じような土地にあっても、街の趣ががらりと変わる。大連が真夏の野に咲く大輪の向日葵ならば、旅順は日陰にひっそりと咲く、歴史の徒花である。

返信する

パスワード

一覧へ戻る】 ※最新の画面を表示するには再読み込みしてください.